Monday, July 22, 2013

神の子の無限の能力を発揮しましょう


私はこのニュースレターの記事を、7月9日トロントから成田に向かう飛行機の中で書き始めました。なぜなら生長の家の新しい本部である“森の中のオフィス”で開催される国際教修会に参加するだけでなく、日本語から英語、そして英語から日本語への通訳も担当することになったため、忙しくなると思ったからです。しかし、機内である程度は書けたのですが、国際教修会のことも含めたかったので、バンクーバーに戻って行事が終わった後の締め切りの前日である7月22日に書き終わろうとしています。
ところで先月のニュースレターでは、トロントからバンクーバーに向かう飛行機にほんの少しのところで乗り遅れたことを書きましたが、今回は無事に間に合いました。
しかし、自宅からトロントピアソン空港に向かう途中では、普段とは違うことが起こりました。それは、いつも乗っているTTCSubway Jane Station から終点のKipling Station まで、停電で不通になっており、代わりに私たち乗車員はシャトルバスに乗り、Jane Station からは地上を通ってKiplingに向かいました。そして、街中も途中から信号機が停電の影響で消えていました。また、Islington Stationを過ぎたところでは道路が雨で冠水して通行止めになっていました。
空港へは予定より20~30分遅れましたが、それでも、最初に一時間以上の余裕を持って空港に向かったおかげで、空港についてお土産を買い軽い食事をする時間がありました。7月9日のCBC NewsWeb Siteでは、7月8日の豪雨について、たったの2時間で降った雨は126ミリメートルに達し、トロントの7月分の平均的な降水量以上であったと報じておりました。
また、日本に到着して、一番驚いたことは、夏が始まったばかりなのに例年にない暑さで連日32~33℃の気温が続きとにかく逃げ場のない感じがしました。
一方で、途中立ち寄った広島の母の家と、“森の中のオフィス”は、自然の中にあるためいずれも涼しい心地の良い天気でした。特に“森の中のオフィス”のあるところは標高1,300メートルの高地にあるため、都内よりも涼しいとともに、自然に囲まれているためにとても心が安らぐ思いをしました。
トロントの豪雨や日本の猛暑で分かることは、この様な異常気候の原因が、人類の活動によってCO2が増えたことによる地球温暖化であることは明らかです。
このような中で、今回の国際教修会では生長の家の国際本部が東京の原宿から山梨県北杜市の八ヶ岳山麓に移転したことから、「宗教における都市と自然」と題して生長の家本部が自然の中に移転することの意義について学びました。教修会では、5人の本部講師、本部講師補とともに総裁谷口雅宣先生、白鳩会谷口純子先生が講話を担当されました。先にも書きました通り、教修会において私は、日本語から英語、英語から日本語への通訳業務の一部を担当しました。
 特に、大島達郎講師の「宗教における都市と自然 ~仏教に学ぶ~(日本の場合)」では、同講師の発表の同時通訳を行いました。同時通訳といっても、事前に日本語と英語の原稿を頂いて日本語の発表に合わせて英語をいうので、そんなに難しいとは思っていませんでした。実はそれが間違いだったとあとになって気がつきました。
 大島講師は、日本の仏教の例として、両方とも曹洞宗の大本山である永平寺と総持寺についての発表を行いました。永平寺が福井県の三方を山で囲まれた自然の中にあるのに対して、総持寺は神奈川県横浜市の鶴見という都会の中にあります。永平寺が、道元によって始められたときは、自然に囲まれた所に寺が建てられましたが、その中の弟子の一人が、民衆への布教を重視して別の寺を立て、今から約100年前に時代の要請に応じて都会の中に総持寺が建てられたのでした。
 
一方、生長の家は、時代の要請に応えて、本部を森の中に移すのです。

ところで、同時通訳をすることと、英語で講話を行なうことは、違うことだと気がつきました。つまり、同時通訳をすることと講話をすることは求められる能力が違います。なぜなら同時通訳は人が話すのを聞いてタイミングよく他の言語で話さなければなりませんが、講話をすることは、自分が自分の言葉で話すからです。
 カナダに赴任しましてまもなく1年になりますが、その間多くのことを学ばせて頂きました。これも、皆さんが暖かい気持ちでご協力下さったから任務を遂行することが出来たと思っております。そこで、自分自身もっと自分の能力を開発しなければいけないと思っている次第です。
 さて、谷口雅春先生は、『生活の智慧365章』において、「事業の成否は『人』に」と題して次のように書いておられます。

 その事業が成功するか成功しないかはそれに従事する「人」如何によるのである。されど「人」とは如何なるものであるか。それは「これ位の能力」と限定されるべき者ではないのである。何故なら「人」は神の子であり、その内には「無限」が宿っているからである。されば、その事業の成否は、「無限」が宿っているところの人間から、どれだけの量と質とをその「無限」から引出し得るか否かによって定まるのである。より多く引出し得た者は、その事業により多く成功するであろうし、より少く引出した者は少ししか成功しないであろう。
 多くの事業会社の従業員は自己の持っている能力や天分の十分の一すらも完全に発揮し得ないような仕組みになっているのである。それはただ上司の命令を機械的に「事務する」だけであって、創意を出すべき機会を与えられていないからである。機会と責任とを与えるときのみ能力は発揮される。
                                        (『生活の智慧365章』pp. 244-245

 このように、私たちの人類光明化運動・国際平和信仰運動の成否の鍵を握っているのは、私達自身ですので、一人一人が自分の持てる能力を開発して参りましょう。

 2013722

生長の家トロント教区教化部長
                カナダ国駐在本部講師
                 高 義晴

日本語ブログ:  http://yoshiharutaka2.blogspot.ca/


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